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偶然が変えた退職後の人生




 「えっ!地元の人じゃないの?」福寿会の新規会員候補が驚いた様に私に尋ねた。 「えぇ、高針に住んで、今年で22年目ですよ。」「じゃぁ私の方が長く住んでいるんだ。ビックリ!」 

 高針、特に字北島には「加藤」姓が多く、福寿会会員60名のうち加藤姓は17名を数える。

 地元の人と思うのは不思議ではない。

 私は、岐阜県中津川市生まれで、広島、岡山などを28年間転々と移り、50歳から

名古屋に住んだ引っ越し族である。

 58歳の時、現在のマンションを購入し、偶然マンション管理組合の理事となったのが、その後の人生の変わり目となったのである。

 翌年マンションの代表として町内会長を引き受けることになった。

 引っ越し族のため住んでいる所について興味はなく、コミセンの存在すら知らないできた、町内会長である。

「地元のお祭りや棒の手の仕来り」についてしっかりと教えてくれたのは加藤姓の方で、

同姓の縁で親しくしていただけたと思う。これも偶然である。 

 後任の町内会長が見つからず、8年間ずるずると役を続ける結果となり、他の町内会長が2年毎代わるので、知らぬ間に北島町内会、高針学区の主(ぬし)的存在となり、防災の

委員など、色々な役目も廻ってきた。

 地元のゴルフやグラウンド・ゴルフの同好会にも積極的に参加し、地域の喫茶店や酒処、カラオケスナックの常連客にもなり「あの人とあの人は親戚関係だが、仲が良くないよ。」

とか、色んな情報まで耳に入るようになった。 

 69歳の時、福寿会の会長をと言われた。

 老人会の会長は、リーダーではなく長老を楽しませるボランティアの役と理解し引き受けることにした。

 74歳の時、名東区なごやかクラブの文化部長を引き受けたのも同じ理由である。

 お付き合いの知人友人が北島町内会から高針学区へ、そして名東区へと広がった。

 58歳の時、名東区のお知り合いが0人だったのが、80歳の現在、200人以上となったのである。

 偶然がなければ、無味乾燥の老後であっただろう。

「地域とのお付き合いが、退職後の人生をこんなに楽しく変えてくれた。」

 このことを新規会員候補に伝えたいのである。

     


 
 
 

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